今やベッドタウンのイメージが強い豊中ですが、元々は能勢妙見山へと通ずる能勢街道沿いの集落として発展した町です。
参詣の道「能勢街道」
能勢街道とは、大阪の中津から能勢妙見山方面に至る道を指し、大阪方面に農産物や日用品を運ぶための経路として利用されてきました。能勢方面には、かつて金や銀、銅、水銀などの鉱物が豊富に産出された多田銀山があり、奈良の大仏の鋳造時には多田銀山で採れた鉱物が能勢街道経由で運ばれていたと伝えらえています。
能勢妙見山は山岳信仰の地として知られており、天平時代には行基により為楽山大空寺が創建されました。また、能勢街道沿いには多田神社、原田神社、服部天神宮などが鎮座しています。江戸時代後半には、能勢街道は参拝客で賑わっていたそうです。